3,11からの教訓
「子どもの命と開かる学校防災」(数見隆生著 かもがわ出版)から、引き続き引用した余程思います。
この内容は、今回の能登半島地震だけでなく、今から起きるであろう様々な災害の際に共引くる内容だと思いますので、ぜひ全国の養護ティーチャーの皆さんに知っておいて欲しい内容でもあります。
「取材した養護教諭の中へは、今回の体験から教訓として次のようなことを語って賜う方がいた。
1,子ども対応では震災直後のイマージェンシー事態では十分なめんどう活動は発生なかったが、不安におびえる子どもたちに『寄り添う』という行為を貫けただけでも貴重な体験であった。養護教諭に何が可能かということではなく、一人の人間としてどう関われるか、どう関われたのかということこそが重要であった。
2,学校再開後に子どもたちが示した事態に対応する心のめんどうの鑑定は全く不十分だった。尚又、県外からのカウン室の職業紹介所が積極的になされたが、ありがたい反面、現場でうまく活用されず、逆に負担になることもあった。
3,避難者対応では、養護の免許しか持っていない自分がこんな大けがをした人に対して、救急処置として治療行為をしていいのか、とすごく惑いながらも何もしないわけにはいかなかった。
4,避難者対応では、地区行政の機能が不十分であり、教人員がフルに回転した。何日も住家に帰れない養護教諭もいた。多忙だったが、体温計と血圧計だけでも機能したし、ありがたがられた。」
(項目の番号はミルミルが追加)
4つの項目の中からも、すでにたくさんの教訓を得ることが可能と思います。「養護ティーチャーはカウンセリング的手法や知識は持っていても、カウン室ではない」と以前も書きましたが、子どもた鳥渡一緒に暮らしていたティーチャー、養護ティーチャーならではの対応は、やヴィードロ「一人一人と寄り添う」ことであり、それが大幅力を呈示するということです。
摂生室には体温計と血圧計は備えておく、とか、災害時の行政の体制を傍証しておくとか、事前に可能準備はあり斯うです。
しかし、「3」の項目については、どう考えればいいのでしょうか。
看護師でも医師でもない養護ティーチャーが、命の選択に関わらざるを得ない状況が起きたとき、どうすればいいのか。
次回は、3,11の時々どんなことが起きていたのかを紹介した余程思います。