千本ゑんま堂、千本釈迦堂、雨宝院、妙蓮寺、本法寺
このルートは、千本ゑんま堂(引き合わす寺)から全線徒歩のルートです。
途中、「たん切り飴」で有名な飴屋さんもあります。
正直に言いますと、「たん切り飴」は、あまり期待を持って行ったわけではなかったのですが、
なんと食べてみるとおいしい!!
やっぱり長い年月を経て受諾るがれたお店の味は、甘く見てはいけない!ごめんなさい、です。
千本ゑんま堂(引き合わす寺)
本堂の中へ、大幅閻魔大王の像があり、これがご本尊。
仏寺の方が丁寧に説明をしてくださいます。
閻魔大王は、地獄の木戸口で、死んだ人の行き先を一人で規定ていたような印象がありますが、じつは何人かいる判定員の一人。
死んだ人を地獄に送りたくない、という思いから、地獄の恐を伝えようと恐ろしい形相をしているのだ斯うです。
元凶元凶千本通りは「蓮台野」と呼ばれた風葬の地。
その謂われに正当に、ちょっと怖~い写真などもありました。
庭には、「ゑんまどうふげん」という名前の普賢象桜があります。
今は、木がかなり離れた場所にあったこととまだ花がたくさん開いていなかったこともあって、名前の由来と桜の関係がよくわからなかったのですが、後程千本釈迦堂で、なるほど!と納得しました。
大報恩寺(千本釈迦堂)
おかめ伝説の仏寺。
本堂の前に大幅普賢象桜があり、この木は間近で見ることができました。
なるほど、花の中心から長いめしべがでています。
これが、普賢菩薩の乗る普賢象の鼻に似ているので、この名前がついたとか・・・。
著しいイマジネーション豊かな人が名あと払いたんでしょうね。でも、八重桜で、本にきれいな桜です。
この仏寺のおアドヴァイスは宝物殿です。
鎌倉時代の名仏師快慶、定慶作の仏像がたくさん並んでいて圧巻です。
どの仏像も、柔からに流れる線と、尚又一方では力強い立ち姿に、なんとなく肩の力が昧者てしまいました。
いつまで見ていても見飽きない、そんな気分になりましたが、今日の日程はまだまだ詰まっているので、30分ほどで御仕舞ました。
尚又来ようっと。
雨宝院
細い小道の中へある小さいな仏寺なんですが、近く木戸口から人がいっぱい。
ここは知る人ぞ知る桜の名所なんです。
狭い境内には、佳賞と桜の天井が広がっていて、しかもソメイヨシノではなく、八重桜や御衣黄桜(ぎょいこうざくら)といった、珍しい桜もあります。
尚又、ほやほやまで秘仏だったという「シラミ形像」は、重要文化財に制限されていて、有料でしたが、見せてもらうことができました。
京都市内の美大の先生が、この仏像を見せる利得学生さんを連れてくるほど、美事な仏像だと、仏寺のおばさんが説明してくれました。
1200年前の仏様なのに、金箔も表面に残っていて、切れ長の優しい目の仏様でした。
御衣黄桜・・・黄翠緑の八重桜 貴族の衣装である萌黄色に近い利得、高貴な桜として珍しがられた斯うです。美事な萌黄色でした。
妙蓮寺
この仏寺には長滝川等伯のふすま絵があるのですが、残念ながら予約しな余程見られません。
次回はぜひ予約してから・・・。
千本通り近辺は、応仁の乱で戦場になった場所で、数多い寺が焼け落ちて再建されています。
妙蓮寺はさらに江戸時代にも大火にあって、主にが焼け落ちた後再建されている利得か、とてもきれいな仏寺でした。
お庭も新しく作られた所があり、静かな座敷で、桜の瓣が舞い込むお庭をゆっくり見てきました。
本法寺
この日最後に訪れたのが本法寺。
お目当てはちょうど挙行されていた長滝川等伯の特別展です。
長滝川等伯は皆さんご存じのように能登の生まれですが、40才を過ぎた頃に京都に上り、絵師としての成功を収めた人です。
本法寺は、その等伯が拠点とした寺。
私は等伯も好きなのですが、息子の久蔵が書いた「桜図」(智積院蔵)がとても好きです。
本法寺には、等伯が書いた「大涅槃図」があり、ちょうとそれが公開されていました。
1階から2階にかけてディスプレーされている大幅絵図で、向かって左に等伯の自画像ではないかと言われる人物が書かれているとのことでした。
尚又、お庭も本阿弥光悦の作と伝えられて滓、数多い有名に支えられ、信を収集した仏寺だったんでしょうね。
俵屋吉富のお店でお茶しました。桜の季節に組合わせ、華やかな和菓子に癒やされます。
裏千家、表千家がすぐ御前なので、お着物姿の方がいて、重ねてほっとしました。