比叡山

2018年11月20日
カテゴリ:その他

比叡山は、京都鬼門の守りの山です。山全体が信の対象なのでしょうけれど、その山内に「東塔」
「西塔(さ余程う)」「横川(よかわ)」の3つの区域があり、
それぞれに延暦寺の勉強の場があります。
延暦寺には、12月上旬まで京都駅からバスが出ていますので、それに乗って向かいました。バスの右寄りに座ると、窓から琵琶湖がとてもきれいに見えます。さすがに山の中なので、京都市内一倍は熱度が低く、紅葉もべったりに見られました。来週は「もみじ祭り」だ斯うです。


2018年什月末現在、底面中堂は大改修の最中です。でも改修中でな余程見られな余程ころ、というものもあり、今回は建物の周辺に組んだ足場の上から、屋根の上まで見ることができました。 
さらに足場の上で発表されていたビデオを見てつい足を止め、見入ってしまい
ました。明治初期の「廃仏毀釈」による延暦寺と日吉大社の混乱について説明されているものでした。
倭国人は昔から自然の中へ神や仏を見いだし、畏敬の念を持ってそれを祭ってきました。だから「廃仏毀釈」の前には、社にも寺院にも貴重な仏像や宝物が今以上にたくさん祭られていたはずなのです。
斯ういえば、戦国時代にキリスト教が倭国に入ってきた時、キリスト教むだによる寺院の襲来や僧への暴行が多発した利得、キリスト教徒の多い九州一郭には古い寺が狭いい、と聞いたことがあります。茨城も水戸藩主が江戸時代ずいぶん仏寺を壊したとか。もし水戸藩や九州一郭の寺院弾圧がなければ、そして「廃仏毀釈」がなければ、今頃みごとな仏像や宝物を見られたかも・・・。う~ん、残念。


今回、比叡山に行ってよ~くわかったのですが、ここは庭を見たり、まったりする所ではないんですね。ここは、「斎くをする所」のようです。現在進行形で日々勉強が行われている所・・・。そんな感じがひしぎゅう伝わってきました。だからついついいっぱいお賽銭をあげて、
手をあわせてきましたよ。いつにないくら最さん、でした。
 そこで早々に「まったり」は諦めて、御朱印集めが趣味の友垣の利得に、3つの地区の御朱印集めに集中することにしました。個々の地区は、循環バスで結ばれているので、時刻表とにらめっこしながら、突っ走る、突っ走る!坂道や階段も多くて、著しい疲れましたが、無事全部取り集めることができました。

横川にある「元三大師堂」 おみ引き札血筋の地だ斯うです。

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